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鬼畜な父親と愛人に苦しめられた小学生時代の最低最悪なクリスマス

kage

2015/09/16 (Wed)

忘れもしない小学5年生の時だ

あれは、子供にとって誕生日よりもワクワクする
クリスマスイブの夕方

衝撃的な光景を見てしまった。

家には親父と姉と私の3人が居て、
母は仕事に出ていた。

親父は世間からは驚かれるような超エリート

相当な収入を得ていたはずなのだけれど、
妻子には最低限の暮らを営むのにも足りないくらいの生活費しか渡さなかった。

親父自身は、金のかかる趣味や複数の愛人達、
仲間達との豪遊にお金をばらまいていた。

親父が部下達とその家族を家に集めて
ホームパーティーを開く時には、
私たち3人は宴の場には入れてもらえず下働きだった
自分と同じくらいの歳の女の子が、お姫様みたいに扱われていて眩しかった。
自分達とは別世界の人達だった。家のほとんどの部屋は親父が占領して、私達母子は狭い一部屋に3人、荷物の山に押し潰されるような窮屈な空間で寝起きしていた。 姉や私は、学校では貧乏な家の子だと思われていた。姉は「ビンボーニン」などと言われて虐められていたらしい。 母は、親父の命令で、近所の運送会社の掃除婦か雑用みたいなパートをさせられていた。 人に顎で使われ、汚い下働きをして這いつくばる思いを母にさせるのが、親父には快感だったらしい。親父は、支配下の人間や頼って来る者の心を踏みにじるのに快感を感じるタイプの人で、私達家族は日々DVに苦しめられた。 一瞬一瞬「この瞬間、早く過ぎ去って欲しい!」と思って暮らしていた。階段の上から下まで突き落とされた事は、憶えているだけでも5回。 海や山などでも殺されかけた。 幼児の頃から何度も山に連れて行かれた。 はぐれたら野犬に喰われるという恐怖で必死について行く。 高い山の上で、何でこんな所に幼児がいるんだと、大学の山岳部の人達に驚かれたこともあった。 休憩している父になんとか追いつくと、父は汚い物を見るような目で私を見て舌打ちした。 「さぁ、行くぞ!」 私に休憩の時間は無かった。重い喘息に苦しめられていた私には限界だったが、気力でついて行った。 いかにも脚を踏み外しそうな場所で突き落とされたことがあった。 真冬の波の強い磯辺で海に叩き込まれたり、 海水浴シーズンには無理矢理沖まで泳がされて潮に流されたり。 親父は、もちろん助けてはくれない。離れた所で笑っていた。 うまく事故死という事になれば良かったのだろう。実は、一つ上の姉の他に兄が1人いたが、私が幼児の頃に事故で死んでしまった。 兄の事故は親父がやったのではないかと思う。 母によると、他に4人、無理矢理に堕胎させられたそうだ。親父は、母に対して、いつも生で中出しだったそうだ。 親父がやりたくなると「来い!」と言って母の髪や腕をつかみ寝室に無理矢理連れて行く。 前戯無しで、いきなり叩き込み、ガンガンとピストン運動して出す。 それで終わり。 私が大学生の頃、母と晩酌している時に、そんな話を聞いた。 母は処女で親父と結婚したらしいし、その後は親父のせいで男性恐怖症が深刻な感じ。 女の喜びというものには縁が無い人生になってしまったんだろうなあ。私がお腹にいる時、母は親父に「堕ろせ!堕ろせ!」と、日々なじられ、殴る蹴るの暴行を受け、破水しながら、這うようにして病院に行き、私を生んだそうだ。 父にとって私は要らない子だったのだろう。 「今度の、この子だけは、絶対に生む!」 そう思って耐えんだよと、後に母は微笑みつつ語った。 子供を持てて嬉しい!そんな気持ちをひしひしと感じた。 でも私は、自分の子供の頃を思えば、出来ることなら産まれてきたくはなかった・・・ 母には、とてもそんな事は言えないけれど。姉や私に何か落ち度があると、親父はそれをネタにして徹底的にいびった。 私が3歳の時、首を絞められて風呂場に連れて行かれ、素っ裸にされた。 そして、足首をつかまれて逆さ吊りに。 親父は私の胸や腹にスーッとカミソリを入れて切り刻み始めた。 そして、皮膚を小さく削り取られた。 痛さはあったはずなのだけれど、恐怖が支配すると、感覚や思考がストップしてしまうようだ。 そういう感覚を幼児の私は知った。 もちろん泣き声すら上げられない。心が停止してしまっていて。 やがて、血が幾筋か垂れて、首、顎、頬に伝わって来た。 目の中に血が入り、景色が赤くなった。ある時は、虫ピンを一本一本、皮下に打ち込まれた。 乳首を引っ張られ、キリで左右に貫かれた時は、情景が怖過ぎて泣きたくなったが、震えて耐えた。日々、一瞬一瞬が、生命の存亡をかけた真剣勝負。 親父の顔色をうかがい、こういう事をしちゃったら、こういう目に遭うと、常に気を配りつつ生きていたので、小さい頃からの記憶が鮮烈だ。親父には、海外に数人、国内にも複数の愛人がいたらしい。 その中の1人が近隣の市に住んでいて、一番のお気に入りのようだ。 親父は帰国すると、その愛人の家に車で繁く通った。小2の時、親父に連れられて、初めてその愛人の家に行った。 途中、親父は車を走らせながら「これから××おばさんの家に行く。懐いた振りをしろ!」と、ナイフを突きつけて脅した。 これに従ってしまうのは、母を裏切る行為なのだと子供心にも解り、ものすごくつらかった。 自分が刺されて死ぬ方が、まだましだ。 プライドにかけて、死んでも愛人にはなびかない・・・ 気の利いた台詞は絶対に言わずに、無口で無反応な馬鹿な子の振りをしようと決めた。その愛人は「ああ、まいりました。超美人さんですね!」と言いたくなるような美人。 なんとなく、お水系の雰囲気。 男の扱いが上手いことと、子供を産めない身体の女ということで、親父にとっては重宝したらしい。 本当に子供は欲しくなかったみたいだ。愛人の家は、海辺から少し内陸に入り小高い丘陵を上った緑の多い住宅地にあった。 広い敷地だった。たぶん300坪くらい。裏庭から背後は深い森。親父の口から愛人に対して、ユーモアを交えた軽口や甘い言葉が連発した。 高めの声。猫撫声で、呆れるくらい滑らかに語りかける。 まるでイタリア男。 親父にそういう一面があるとは知らなかった。 私達家族に対しては、いつも硬く低い声。冷たく威圧するような怖い話し方だった。 ユーモアの欠片も無い。 あの声を聞くと、心が萎縮して立ちすくんでしまう。親父が何か買いに行くとかで、愛人と私の二人だけになった。 庭を案内してもらい、ぎこちない会話を交わした。 どうも薄っぺらくて情の薄そうな女だなぁというのが私の印象だった。家に入ると紅茶を出されたが、味を感じることも出来ずに飲んだ。 父の愛人と二人っきりでは居心地が悪過ぎた。「子供の絵を描きたくなった。あなたを描いてあげるわ」 「いいよね?」 そう言って、父の愛人は私の服を脱がした。 すごく嫌な感じがしたが、逆らうと後で親父にひどい仕置きをされるのは判っているので、女のされるがままになった。 愛人は油絵を描き始めた。 ベッドの上のクッションに身体をゆだねる格好で一時間ほど辛抱した。 確かに絵は上手い。かなり本格的な腕前だなとは思った。 女が筆を置いて近寄ってきた。 「お父さんのオチンチンも、子供の頃はこんなだったのかな。かわいいね~w」 そう言って、愛人が私のチンコをいじり始めた。 チンコの皮を無理矢理むかれたり、袋を揉まれたり。 女が残酷な笑顔を浮かべた。不気味だ。 魔物の様に思えた。
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